あなたの判断軸は?
- しょうえつ
- 6月1日
- 読了時間: 3分
さて、前回からの続きです♪
今日は、まず少し驚きのあるエピソードからお話ししたいと思います。
それは、インド仏教界の最高指導者とも言われる、佐々井秀嶺さんのお話です。
佐々井秀嶺さんは、岡山県新見市出身の日本人です。仏教発祥の地であるインドで、多くの仏教徒の方々から深く尊敬されている方が、日本人であるということに驚かれる方も多いのではないでしょうか。
佐々井さんが、どのような道をたどってインドに渡り、なぜそれほど多くの人々を導く存在になられたのか。その詳しい歩みについては、ウィキペディア等に譲るとして、私が強く心を打たれたのは、その根底にある「利他の心」です。
佐々井さんのお弟子さんに、小野龍光さんという方がいらっしゃいます。小野さんは、もともと将来を嘱望されたIT起業家でしたが、インドを旅する中で佐々井さんと出会い、突如として出家の道を選ばれました。
その理由について、小野さんはこのように語っています。
「すべての発言、行動が、とにかく人のため、他人のため、誰かのためなんです」
また、佐々井さんはよく、
「自分は命を捨てて、いつ死んでもいいんだ」
とおっしゃっていたそうです。
しかしそれは、言葉だけではありませんでした。小野さんの目には、その言葉が嘘偽りなく、日々の行動そのものに現れているように映ったのでしょう。
ここにあるのは、まさに「利他の心」という判断軸だと思います。
では、私たちの判断軸はどこにあるのでしょうか?
私は、自然農法もまた、この「利他の心」が一つの形となって現れたものではないかと思っています。
自然農法で野菜を育てそれを食べてくださった方が、少しでも健康になり元気になり、心まで穏やかになってくださればありがたい。
その思いの根底には、やはり「人のために」という心があります。
もちろん、農業ですから生活の糧を得ることも大切です。しかし、それだけでは続きません。
自分のためだけでなく、食べてくださる方のため、次の世代のため、土のため、自然のため。 そうした思いがあってこそ、自然農法は本当の意味で力を持つのではないでしょうか?
人は、所詮ひとりでは生きていけません。
生まれた時から、誰かのお世話になります。育つ時も、働く時も、老いていく時も、必ず誰かに支えられています。そして、逝ってからもなお、誰かに弔っていただかなければなりません。
実は、たまたま今日が義母の三十三回忌でした。少数の親族だけが集まった法要でしたが、その席で住職が、まさにそのようなお話をされました。
「人は、逝ってからも誰かに弔ってもらうのです」
その言葉が、私の心に深く刺さりました。
人間というものは、生きている間だけでなく、死んでからもなお、誰かのお世話になる存在なのだとつくづく思います。
だからこそ、せめて生きている間は、少しでも誰かのお役に立てる生き方をしたい。自分の判断軸を、損得や都合だけに置くのではなく、少しでも「利他の心」に置いていきたい。
自然農法を通して、畑を通して、野菜を通して、そして人とのご縁を通して、そのことを改めて教えられた一日でした。
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